【話の肖像画】フィンランド冬便り(上)デザイナー・石本藤雄
■世界一周のはずが…在住42年 北欧フィンランドの冬は暗くて長い。しかし、同国で40年以上活躍する日本人デザイナーは、その過酷さゆえの美と豊かさがあるという。モダンなテキスタイルで世界的に知られるブランド、「マリメッコ」のデザイナーを長年務めたのち、陶芸作家として土と格闘する日々を送っている。(文・黒沢綾子) ◇ --ヘルシンキはこの時期、日が短いんですよね 石本 日の出は午前9時ごろ、日没は午後3時ごろです。雪景色になれば気分も上がりますが、今年はまだ積もるほど降らなくて、どんよりしてますね。でも、クリスマスの電飾で街は華やかですよ。子供たちは喜んでます。 --すてきですね。42年前の1970年、初めてフィンランドを訪れたのも、冬が始まるころだったとか 石本 飛行機で上空から見下ろすと、一面、真っ白の雪景色。すごくきれいでね、フィンランドに居着いた理由の一つかもしれない。 --最初からフィンランドに長く暮らす予定ではなかったそうで 石本 芸大でグラフィックデザインを専攻し、卒業後は(アパレルの)「市田」で呉服担当の広告デザイナーをしていた。今思えば自分に問題があるんだけど、仕事で欲求不満がたまっていた僕に、世界一周の旅を経験した友達が『外に出て社会勉強した方がいいんじゃない』と言った。学生運動が盛んな60年代末、若者の旅も一種のブームだったのかなあ。退職金や(愛車の)ホンダS600を売ったりして資金をつくり、世界一周の航空券を手に入れました。 --最初はどこへ? 石本 ニューヨークに40日ほどいました。でも、東京で海外のデザイン誌をたくさん見ていたせいか、すべて、知っている気がした。そこで、カナダ経由でロンドンに行くと色彩感覚が面白くて。何といっても、ゴミ袋がショッキングピンクだったこと! --パンクですね 石本 その後、デンマークのコペンハーゲンに入るころには持ち金も少なくなって…。日本を出てまだ3カ月。すぐに帰るのは恥ずかしい。生活費を稼ぐためレストランの皿洗いの職を得たんですが、やっぱりデザインの仕事がしたいと思い直し、結局その店には行かなかった。もし行っていたら、しばらく滞在してから日本に戻り、今とは全く違う人生だったでしょうね。 --まさに転機。でも、デザインの仕事を探すのは大変でしょう? 石本 ええ。でも来日経験のあるデンマーク人や、いろんな出会いがあって、最終的にフィンランドのマリメッコに何とかたどりついた。マリメッコの個性的なデザインには、学生時代から注目してたんです。 《マリメッコ社は51年創業。布地や服、インテリア雑貨などを展開。50年代に北欧デザインが世界的に注目されたことや、60年の米大統領選挙でジャクリーン・ケネディ夫人が鮮やかなマリメッコのドレスを愛用したことなどで、一気に認知度が高まった》 石本 創業者社長のアルミ・ラティアさんの面接を受けました。生まれて一度もプリントデザインをしたことがないくせに「やりたい」と言ったんです。むちゃくちゃです(笑)。でもどうにか、僕と同じ年の息子さんが経営するマリメッコの子会社に入れました。日用雑貨のギフト用商品を企画・販売する会社です。 --息子さんの回想によれば、アルミさんが「チャーミングな日本人男性がいる。英語もフィンランド語もしゃべらないけれど、すばらしい才能を感じるの」と採用を勧めてくれたそうで。言葉はどうしたんですか? 石本 辞書をひきながら。あと、マリメッコには当時(デザイナーの)脇阪克二さんがいたので、ずいぶん助けてもらいました。 ◇【プロフィル】石本藤雄 いしもと・ふじお 昭和16(1941)年、愛媛県出身。71歳。東京芸大美術学部工芸科卒。45年からフィンランドの首都ヘルシンキに在住。平成22年、同国の芸術家に贈られる最高位「フィンランド獅子勲章プロ・フィンランディア・メダル」を受章。12~29日に東京・南青山の「スパイラル」で布と陶の個展が開かれる。
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